由来

創建は、1423年(応永30年)です。
現在の境内付近は夜も明るくなるほど輝き付近の村人を恐れさせていました。応永30年(1423年)正月に、越後国から常陸国の守護大名佐竹義仁に招かれ、通りかかった能勝阿闍梨がこれをあやしく思い、二十一日間の護摩を修すると、ある夜、夢に円仁(平安時代初期の天台宗の僧、最澄の弟子)があらわれ、自身が心をこめて刻んだ不動尊がこの地に埋まっているとのお告げを受けました。早速、金杉の村人の協力を得てその場所を掘ると円仁作を記した木造があらわれました。その掘った跡から水が湧き出し、滝となったといいます。
そのことがきっかけとなり、御瀧信仰が起こり、小堂をたて木像が安置され、今に続いています。

寺に残されている社伝では、金蔵寺は江戸時代以前は現在の位置にありましたが、江戸時代になると社寺の敷地が江戸幕府直轄の小金牧の範囲になったため住職の居住を村内に移し、明治時代になって、牧馬がなくなったことから元の敷地に戻ったとされています。また、居住を移していた間は、8月のみ入山を許され大祭を続けていたと伝わっています。

枯れることなく流れ出る竜頭の滝が御瀧不動尊の名の由来で「水行」の場となりました。創建以来600年余り、関東各地から霊験功徳を求め参拝客が絶えません。
この『清水』は今も湧き続け、船橋市内を流れる唯一の川『海老川』の源流として、また、飲み水として、清酒やパン、菓子等、商品にもなって多くの人々に称されています。

また、春は桜、初夏にはアジサイ、夏はスイレンと境内にはいろいろな種類の花や樹木があり、訪れる人を楽しませております。
下の画像は「下総国金椙(カナスギ)御滝山不動堂之図」という滝不動の四季を描いた4枚組の絵です(作年不明)。
幕末から明治には、滝にうたれて修業する行者もいたといわれています。